又吉直樹「火花」読了。正統派ビルドゥングスロマン。
江藤淳「閉された言語空間」を読んでいる。ただ、この違和感はなんだろう?
城山三郎、司馬遼太郎、江藤淳、半藤一利を読んでいて感じる違和感。
言語空間はいつでも閉されている。いつでも思想と文化は殲滅戦を生きている。そうでないものなど思想や文化の名に値しない。なんて言い方は潔癖過ぎますか。
人はいつでも他人の奴隷化を画策し、人はまた有利な奴隷契約を待っている。相互の面従腹背。
モリカケ、なんて言わなくても、誰も言葉を信じていないこの世界で、なぜか、ある言葉が真実を語ってしまう瞬間があるのはなぜなのか、をこそ問うべきなのではないか。