間違った肯定の鳴き声

粕谷一希「二十にして心朽ちたり」を読む。途中から苦痛。この本を読んで、共感する人は誰なのか。旧制高校の嫌なところがモロに出てる感じ。

 

遠藤麟一朗の美学、みたいなもので彼の生き方を肯定したい気持ちはわかるし、そのようにすることにも正当性はあろうけれど、もっと端的に「アル中」として、病人として扱うべきではないか、と思う。太宰治の自殺を「彼の文学の完成」と言ってしまう不健康さを思い出す。バカバカしい。そんなに才能があったなら、作品を書くなり編集するなりすれば良い。可能性だけの天才なんて。

 

遠藤麟一朗に友人はいたのだろうか。酒をやめさせるよう忠告して、絶交したような人は。

 

 

こう言い換えても良いかもしれない。私は粕谷のような書き方を肯定するには健康的すぎる。